福岡高等裁判所 昭和27年(う)2926号 判決 1953年1月12日
控訴人 被告人 堤光夫
弁護人 松岡良俊
検察官 山本石樹
主文
原判決中被告人関係部分を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
原審における未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する。
但し本裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用中証人川口留太、同公文譲、同川浪キヨに支給した分は被告人の負担とする。
理由
弁護人松岡良俊の控訴趣意は記録に編綴されている同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点について、
よつて被告人関係の原判示強盗教唆の事実、並びに原審共同被告人中園優、同古場隆一、同島本博関係の原判示強盗の事実につき原判決の挙示した各証拠を仔細に検討すると、該証拠によれば被告人は昭和二十七年六月九日夕刻佐賀県小城郡南多久村大字長尾所在の鹿島建設事務所寮に遊びに行き前掲原審共同被告人等と雑談をした後共に外出するに際し、右原審共同被告人中園優が同寮止宿人川口留太から借受けた「匕首」を被告人において携帯し同県同郡北多久村大字小侍莇原で遊ぶうち、同日午後十時過頃右中園優から、「どこか押し入るのによい所はないか」と話しかけられるや、被告人は「この先の峠で二人の子供を抱えた後家さんが店をしている、入るには都合がよい、その上今日は炭坑の勘定日だから掛金が集まり相当の金があるだろう」とかねて被告人が知つている原判示強盗被害者富岡チヨノ方を教え、ここにおいて被告人と原審共同被告人中園優、同古場隆一、同島本博の四名は右富岡方において強盗をしようと共謀した上、相共に同家附近に赴き時間を過すうち、強盗の用に供するため、被告人所携の前掲「匕首」を取り出し被告人及びその他右原審共同被告人等において、交々雑草等で刀身を研磨してから、同日午後十一時過頃右四名で右富岡方で強盗するため、まず原審共同被告人古場隆一において戸外より屋内の様子を窺つたけれども未だ時間が早いように感ぜられたので附近の番所炭坑と鉄道線路(筑肥線)との交叉点附近で時間を過し、同日午後十二時頃再び右四名で富岡方に赴き同家屋内に侵入しようと試みたが、容易に戸を開くことができなかつたので更に前記交叉点附近に引返しているうち、被告人は右原審共同被告人等と共に強盗することの非を悟り、同人等に対しては敢て犯行を阻止することなく又明示的に該犯行から離脱すべき表意もせず、該犯行から離脱するため同所を立ち去つたことを認め得ると同時にその後約二時間を経過した頃前記原審共同被告人三名において、それぞれ、被告人が右犯行から離脱したものであることを察知し、更に同人等三名で右富岡方に押入り強盗をしようと共謀した上、原判示三記載のとおり翌六月十日午前二時四十分頃同家において強盗をしたものであることを認めることができるのであつて、原判決がその二の(イ)において判示した様に、被告人が強盗の犯意のない前記原審共同被告人等三名を教唆し、因つて原判示三の強盗を為すに至らしめたものであることは到底認めることはできない。記録を精査しても当裁判所の右認定を左右するに足りる資料は全く存しない。しかして、数人が強盗を共謀し、該強盗の用に供すべき「匕首」を磨くなど強盗の予備をなした後、そのうちの一人がその非を悟り該犯行から離脱するため現場を立ち去つた場合、たとい、その者が他の共謀者に対し、犯行を阻止せず、又該犯行から離脱すべき旨明示的に表意しなくても、他の共謀者において、右離脱者の離脱の事実を意識して残余の共謀者のみで犯行を遂行せんことを謀つた上該犯行に出でたときは、残余の共謀者は離脱者の離脱すべき黙示の表意を受領したものと認めるのが相当であるから、かかる場合、右離脱者は当初の共謀による強盗の予備の責任を負うに止まり、その後の強盗につき共同正犯の責任を負うべきものではない。けだし、一旦強盗を共謀した者と雖も、該強盗に着手前、他の共謀者に対しこれより離脱すべき旨表意し該共謀関係から離脱した以上、たとい後日他の共謀者において、該犯行を遂行してもそれは、該離脱者の共謀による犯意を遂行したものということができないし、しかも右離脱の表意は必ずしも明示的に出るの要がなく、黙示的の表意によるも何等妨げとなるものではないからである。さすれば当裁判所が説示した被告人の前示所為はまさしく刑法第二百三十七条所定の強盗予備罪を構成することが明かであるに拘らず、挙示の証拠により原判示二の(イ)の事実を認定した原判決は、その事実理由と証拠理由との間にくいちがいの違法があるので原判決中被告人に関する部分は刑事訴訟法第三百九十七条に則り破棄を免れない。論旨は理由がある。
しかして、被告人関係の原判示二の(イ)事実に対応する本件起訴状記載の公訴事実を原判示三の事実に対応する同公訴事実と対比通覧すると、当裁判所が右に説示した事実は前記公訴事実とその基本たる事実関係を同じうし、且つ該公訴事実の訴因の記載事実に包含された軽い事実で、被告人の防禦に実質的に不利益を生じる虞がないので強ち訴因、罰条の変更をするの要はないものと解すべきところ、当裁判所は本件記録及び原裁判所において取調べた証拠により、直ちに判決をすることができると認められるので弁護人の量刑に関する論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第四百条但書に従い更に判決する。
当裁判所が認定した事実
被告人は
第一、昭和二十七年六月九日夕刻被告人肩書住居附近の佐賀県小城郡南多久村大字長尾所在の鹿島建設出張所寮に遊びに行き、原審共同被告人中園優、同古場隆一、同島本博等と雑談をした後共に外出するに際し、右原審共同被告人中園優が同寮止宿人川口留太から借受けた「匕首」を被告人において携帯し、同県同郡北多久村大字小侍字莇原で遊ぶうち、同日午後十時過頃右中園優から「どこか押し入るのによい所はないか」と話しかけられるや、被告人は「この先の峠で二人の子供を抱えた後家さんが店をしている、入るには都合がよい、その上今日は炭坑の勘定日だから掛金が集まり相当金があるだろう」とかねて被告人が商用で知つていた同県東松浦郡厳木町大字中島八六七番地物品販売業富岡チヨノ方を教え、ここにおいて、被告人は原審共同被告人中園優、同古場隆一、同島本博の三名と右富岡方において強盗をしようと共謀した上、相共に同家附近に赴き時間を過すうち、強盗の用に供するため、被告人所携の前掲「匕首」を取り出し、被告人その他右原審共同被告人等において交々雑草等で刀身を研磨してから、同日午後十一時過頃右四名で富岡方で強盗をするため、まず原審共同被告人古場隆一において戸外より屋内の様子を窺つたけれども未だ時間が早いように感ぜられたので附近の番所炭坑と鉄道線路(筑肥線)との交叉点附近で時間を過し、同日午後十二時頃再び右四名で右富岡方に赴き、同家屋内に侵入しようと試みたが、容易に戸を開くことができなかつたので更に前記交叉点附近に引返しているうち、被告人は右原審共同被告人等と共に強盗をすることの非を悟り該犯行から離脱するため同所を立ち去つたが、その後右原審共同被告人等において、それぞれ被告人が右犯行から離脱したものであることを察知し被告人と共に強盗をしないこととしたため、被告人は単に強盗の予備をなし、
第二、業務その他正当の理由がないのに拘らず昭和二十七年六月九日午後七時三十分頃から同日午後十一時頃までの間前掲鹿島建設出張所寮から右富岡チヨノ方附近まで匕首(刄渡一四、八糎)一振を携帯し
たものである。
証拠の標目
右の事実中第一の事実は
一、原審公判調書中の被告人の供述記載
一、被告人関係の原審第三回公判調書中の証人中園優、同古場隆一、同島本博の各供述記載
一、古場隆一の検察官に対する第三回供述調書中の供述記載
一、島本博の検察官に対する第一、第三回供述調書中の各供述記載
一、中園優の中園政光と自称しての検察官に対する第二、第三回供述調書中の各供述記載
一、被告人の司法警察員に対する第一、二回供述調書中の各供述記載
中右判示に照応する部分を綜合し、
右第二の事実は、
一、原審公判調書中の被告人の供述記載
一、被告人中園優の中園政光と自称しての検察官に対する第二回供述調書中の供述記載、
一、被告人及び原審共同被告人中園優、同古場隆一、同島本博関係の原審第二回公判調書中の証人川口留太の供述記載
一、被告人関係の原審第四回公判調書中の検証の結果の記載
を綜合しそれぞれこれを認める。
法律に照すと、被告人の判示強盗予備の点は刑法第二百三十七条に、判示匕首携帯の点は銃砲刀剣類等所持取締令第十五条第二十七条罰金等臨時措置法第二条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条第十条に則り重い強盗予備罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を主文の刑に処し、同法第二十一条に従い原審における未決勾留日数中三十日を右本刑に算入し、なお刑法第二十五条を適用し本裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、又刑事訴訟法第百八十一条第一項に則り原審における訴訟費用中証人川口留太、同公文譲、同川浪キヨに支給した分は被告人をして負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷本寛 裁判官 藤井亮 裁判官 鍛冶四郎)
弁護人松岡良俊の控訴趣意
第一点事実誤認又は法令違反
原審は被告人の強盗に関する所為を強盗教唆と認定して之に対し刑法第二百三十六条第一項第六十一条第一項を適用しているが右は被告人の所為は強盗予備罪であるのを強盗教唆と誤認したか又は共同正犯と教唆罪の解釈を誤つたものと思料する。兎も角先づ被告人が本件に関して為した行為を本件記録に徴して具体的に摘録すると次の通りである。
原審に於いて本犯と目された中園優は昭和二十五年頃賍物故買罪で検挙されたり(同人の司法警察員に対する第一回供述調書参照)人と喧嘩して両腿に計八ケ所の傷を受けて居り(同人の検察官に対する第二回供述調書記載参照)、古場隆一は昭和二十六年八月小俣簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年但し三年間の執行猶予の判決を受けて居り(同人の前科調書参照)、島本博も本籍地に於いて数回犯罪の為め検挙された事があるものであつて(同人の原審公廷における証言参照)、孰れも不良の徒であるが本件犯行二、三ケ月前夫々本籍地鹿児島県又は熊本県から佐賀県小城郡南多久村大字長尾鹿島建設出張所寮に来て止宿し稼働することになつたが碌碌働かず昭和二十七年六月七日には孰れもその勤務先を辞めて夫々本籍地に帰ろうとしたが旅費さへなかつたので中園優は自転車一台を窃取し(原判決判示(一)の所為)之を右三名で佐賀市に入質しに行つたが質屋に断わられた為め極度に金銭に窮していたものである。之に反し被告人堤光夫は佐賀県小城郡牛津で出生し三年前妻帯し二人の子供があり従前から北多久方面の炭坑で真面目に働いていたものである(原審証人久門の証言参照)。而して被告人堤光夫は中園優等三名を本件数日前に偶然の事から知会つたが同人等から就職のことを依頼されたり又本件犯行前日中園優、古場隆一が被告人堤光夫方に遊びに来た際同人等から寮に遊びに来ないかと誘われた事もあつたので本件当日の夕方寮に遊びに行つた。寮では中園等三名の外に川口留太外三名位の寮員と暫時世間話をしてから中園等三名と共に莇原に遊びに出掛けた。出掛けるとき中園優は寮員川口留太から匕首を借受けたが被告人堤が之を手に取上げて眺めたのが序でとなつて之を被告人堤において携帯することになつた。それから莇原でビンゴ屋等を素見し同日午後十時過頃莇原鈍地原附近において中園優が「どこかおし入るのによいところはないか」と聞いたので被告人堤が「此の先の峠の後家さんと小さい子供二人の居る店があるから入るには丁度良いその上当日は炭坑の勘定日だから掛金が集つて相当金もあるだろう」とて富岡チヨノ方の事を話した結果茲に被告人堤、中園、古場、島本の四名とも同家に侵入して強盗する決意をした。
それから被告人堤は同人の案内で他の三名と共に富岡方前に行つて同人方を指示したが時間が早かつたので附近で時間を潰し同日午後十一時過、四名で富岡方に行き同家に侵入しようとしたがまだ時間が早いようであつたので引返し番所炭坑に行く道と鉄道線路との交叉点附近で時間を過し同十二時頃再び四名で富岡方に行つて同家に這入ろうとしたが容易に戸が開かなかつたので更に前記交叉点附近に引返して休んだ。その当時既に本件の非違を悟り後悔していた被告人堤は愈々犯行を中止しようと決意したがその事を中園等に言つても同人等は堤が中止することを容易に許容すまいと推察したので同人等に対しては上衣等を取つてくるからとて自宅に帰つて了つて爾後中園等の許には戻らなかつた。
中園、古場、島本の三名は約二時間被告人堤を待つたが同人が来なかつたので愈々同人は強盗をやる事を飜意した事を察知したが極度に金銭に窮していたのでそれでは同人等三名だけで決行しようと考え三名で本件犯行を敢行し賍品は三名で分配しそれを旅費として夫々本籍地に帰つていたところを検挙されたものである。
本件の大要が以上摘録した通りである事は何人も異論のない事実であると確信する。殊に四名で富岡方に二回迄も侵入しようとしたが時間が早かつた関係等からそれを中止してその後間もなく被告人堤が逃げ帰つた事は疑を入れる余地はないと信じている(中園、古場、島本の原審証言や供述及同人等の供述調書の記載や弁論再開後の被告人堤の原審供述参照)。
本件は以上の通り四名で強盗を為さんことを共謀し、二回まで富岡方に到り同家に侵入しようとしたが時間の関係等から之を中止しその後被告人堤は強盗を中止し他の三名は堤が中止した事を判然知悉し乍ら堤の中止後自分等三名だけで決行しようとして三名で強盗を敢行したのであるから被告人堤の所為は強盗予備の共同正犯の責任に止り強盗教唆罪を構成しない。蓋し教唆者が被教唆者と共に犯行を為さんとする場合には共同正犯が成立するは格別、教唆罪は成立せず、教唆罪が成立するには教唆者は被教唆者と犯行を共に為すのではなく単に被教唆者のみに於いて犯行を為すことを教唆するに止まる場合に限るからである。況んや本件は中園、古場、島本が被告人堤とは異なり孰れも不良の徒輩であり、本件二日前既に勤務先を辞めて夫々本籍地に帰ろうとしていたが極度に金銭に窮し自転車を窃取して之を処分しようとした事実や、中園が寮を出掛ける際匕首を借受けたり寮員川端一則にも「一諸に行かんか」と誘つた事実(川端一則の司法警察員に対する第一回供述調書)等からして中園等に於いては被告人堤が富岡方に関して話をする前から既に強盗の決意をしていたものであつてその侵入先を物色する為被告人堤に聞いたに過ぎないと思える事実である。尚御参考の為め申添えておくが被告人堤が中園等から脱退する迄は強盗の着手はないから中園等に於いてなした強盗の所為については被告人堤には責任はない。
以上の理由により被告人堤の責任は強盗予備罪に止るのに原審が之を強盗教唆罪に問擬したのは事実誤認か法令の適用を誤つた違法がある。
第二点量刑不当
原審が被告人に対し懲役四年の実刑を科したのは量刑が重きに失する。被告人堤は第一点に記載したように妻子もあり従前より真面目に働いていて何等前科もないのに偶々中園等三名の不良の徒と交るに至り同人等と遊びに出掛けた際一時本件強盗を為そうとしたが良心の呵責から(第二回目富岡方に侵入しようとして遂げず引返す途中に於いて被告人堤が中園に「お前は本当にやる気か」と尋ねた事実があることは中園、古場、島本の原審証言により認められることを参照)、又家庭の事を思い起して、自分丈け仲間から脱退して逃げ帰つて居り、改悛の情顕著なるものがある。又被害者に対しては自分が話したばかりに被害を蒙つた事について自責の念に駆られ全額弁償している(弁論再開後被告人堤側から提出した書類参照)。
そこで被告人の改悛の情を斟酌し同人をして折角更生させる為め同人に対しては刑の執行猶予の判決を相当と信ずる